山崎健太郎

山崎健太郎が退社する。

たぶん僕は20年後かどうかわからないけど、
かなり先になっても彼と一緒に遊んでいたりすると思う。

たぶん、僕以外の誰かもそう思っているだろうし、そうでいたいと
心から思っているんだと思う。

どうしても人は小さいことというか日常のひとつひとつで
いらだったり、尊敬したり、物事を細分化して評価しがち。

それが間違えているわけじゃなくて、それ以外にも大切な評価があると思う。

何となくいい。
そんなことだ。

彼にはそれがあるというか、それが卓越している。

一つ一つはいまいちなことはある。
でも引いて彼を見ると、彼の周りはとにかく暖色でクリーンで。

嘘はなく、だれに対しても平等で。

同時に誰に対しても優しく、そして強い。

感謝の心は忘れず、謙虚の姿勢は怠らず。

僕は出会う前から、それを感じていたのかもしれない。
彼がイタリアから電話してきたのは夜中だった。

最初はイタリアからだとは思わず、なんでこんな時間に求人の電話なんだと
思った。

電話は聞こえづらい。
途中でイタリアからだと分かった。

イタリアで修業しながらグルメキャリーをネットで見ていた。
笑ってしまった。
1か月半経って初めて会うことになった
それまで多くの面接希望があったが断っていた。
ある意味、山崎に会うことを想定し、彼に期待して
他の求人をもう断っていたのだ。
何人も断った。

初めて会う僕に彼はマラドーナのユニフォームをお土産で買ってきてくれた。

そんな出会いだったけど
何度か話しているうちにやはり肌で感じた。

同じにおいがするって。

彼がピッツァを焼けるようになったのはokeiに来てから。
最初は違うピッツァ職人を見て勉強。
2か月後には僕のを見て勉強。

1人でしっかり焼くようになったのは1年後くらいからかもしれない

それから何度も彼を罵倒したかわからない。
1か月間、何もやらせず、ただ僕の焼くのを立たせて見せたこともある。
家にも泊まっていたし、酔いつぶれて店で一緒に寝たことも多い。

でも僕にとってはよき理解者というか。
僕の気持ちや考えを全面的に尊重してくれる人だった

年代も近いからかもしれない。

独立という夢も肴にしてのんだ。

それがこんなにも早く訪れるとは思わなかった

ただ、彼はokeiを去りたくはなかった、このタイミングでは。
ただ、弟の独立が決まり、弟しては彼とやるしか頭になかったのかもしれない。
そして彼もそれを受け入れる気持ちを20年くらいは準備していた。

そこにはタイミングなんて関係なく、動き出せば、どちらかはそれに
合わせて動き出すことがもう決まっていたのだ。

それが正しいし、それしかないと思う。家族だから。

そんな思いを僕に伝えたのは12月16日、去年の僕の誕生日だった。
その数週間前まではここにいるために、相談していきたいことを
二人で熱く話し合っていた矢先だったので苦しい話だった。
僕の頭には彼がいたから。

泣きそうになったのをぐっとこらえていろんな話をした

そしてスタッフへも急ではあるがってことで伝えることになった。

僕はここで何と泣いてしまった。
彼がいなくなることが本当に悲しくて悲しくて辛くて。

スタッフに報告しているときに泣くのはあまり経験のないことだった。

僕には応援するという選択肢しかないし
それが唯一彼に注げる愛情だと理解している。
でもその時は苦しかった。

僕は判断や決断をしていくことが仕事。

感傷に浸る前に進まなければいけない。
だからそれ以降は現実をしっかり重い、考え行動してる

オケイさんは慣れてしまって、人が辞めても悲しくなさそうだって
言われた。お客様に。

勿論反論などはしないから笑って終わった話。
でも、間違いなくすべてのスタッフが入れ替わっていく様を見ている自分は
そんな風になるわけもなく、何度も死にそうにきつい。
でもそれにとらわれていたら前に進めない。

僕は彼を一生愛し、敬っていけると思う。

あと2日
互いに楽しくやろう

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